「ひと狩りいこうぜ!」で多くのゲームファンを熱狂させ国民的な人気ゲームとなった『モンスターハンターシリーズ』は今年で15周年を迎えます。
これまで沢山の人たちを魅了し愛されてきたモンハンですが、私もその例外ではなくとても思い入れがあるシリーズです。
そこで本日は初代の『モンスターハンター』から最新作の『モンスターハンター;ワールド』まで…
モンハンがどのような歴史をこれまで歩んできたのか、皆さんと共にここで改めて振り返っていきましょう。
モンハン誕生
記念すべき第1作目『モンスターハンター』が発売されたのは2004年3月11日、当時圧倒的なシェアを誇っていた据置ハードPS2にて発売されました。
モンハンはセガの『ファンタシースターオンライン』(以下PSO)から着想を得て作られたそうですが、
1作目からオンラインでのマルチプレイがすでに実装されていたり…
モンスター達の生態やハンターの生活を描いた世界観、モンスターを倒して得た素材を使って装備を作るシステムなど、
1作目からシリーズの根幹となる基本的なコンセプトが既に出来上がっています。
私も後追いで遊んだ口ですが、初期のモンハンは最近のものと比べるとビックリするぐらい難易度が高く、素材の入手も厳しい…
かなりマゾ~いチューニングがされた玄人向けのゲームという記憶があります。
ここにはどうやら「オンラインマルチプレイで協力して遊んで欲しい」という意図を込めてバランス調整がされていたようです。
実際ソロプレイではゲームのノウハウを覚える登竜門的モンスターである『イャンクック』ですら先生というのを通り越して、
初心者たちを次々と脱落させる鬼教官のような厳しさを持っていました(笑)
この頃のモンハンは当たり判定が怪しかったのもそうですが、ダメージ値も半端なくてちょっと油断すると即乙なヤバイゲームでしたね。
あと攻撃方法も今とは違って何故か右スティックを使って行っていたことも忘れてはなりません(笑)
そういった尖ったゲームバランスやシステム含めこの頃は全く一般受けしない仕様だったのです。
しかも売りだったオンラインは、当時ネット環境が普及していなかったり別売りの周辺機器も必要という正に足かせ状態です。
ゆえに初代は大々的なヒットはしなかったのですが、それでもこの個性的なゲームに対する評判は玄人好みというところもあって、
発売後の口コミによってじわじわとゲーマーを中心に支持を集めていくことになります。
因みに、本作のエグゼクティブディレクターである船水紀孝氏がモンハンの産みの親と言われており、
船水氏が当初デザイナーとして参加していた藤岡要氏をディレクターに抜粋したそうです。
藤岡氏「僕がディレクターですか⁈」
藤岡氏はその後も歴代のモンハンナンバリングのディレクターとして活躍し、カプコンの看板ディレクターの一人になるわけですが、
この頃はまだ無名の新人ディレクターだったんですね。
本作を最後にカプコンを去った船水氏ですが、『ストリートファイター2』等カプコンの格闘ゲームを盛り立てた中心人物としての功績だけでなく、
格闘ゲームブームが去った後のカプコンの看板タイトルとなるモンハンを産んだその功績は計り知れませんね。
G級の誕生
カプコンは昔からバージョンアップ版を作るのが好きな会社です。
モンハンに関しても同様に1作目を改良した『モンスターハンターG』(以下MHG)を作っているわけですが…
実はこれは初めから新バージョンを作ろう!というところから着想したものではありませんでした。
元々のきっかけは初代モンハンの北米版ローカライズで、ディレクターの藤岡要氏が北米版に対する追加要素として…
藤岡D「双剣の追加しちゃおw」
と動いていたことから始まります。
モンハンを既にご存知の皆さんならお分かりいただけると思いますが…
アメリカの人達だけ新しい武器種で遊べます!なんて日本のファンが知ったら
「おいおい!ふざけんなカプコン!ジャップは大剣とハンマーでもぶん回してろってか⁈」
と文句を言われかねない大きな追加要素ですね(笑)

そこまでやるならいっその事グレードアップバージョン作ろうや!となるのは自然の事で…
MHGとして新たに開発されることになったわけです。
MHGは『G級』と言われるより手強い階級のクエストや新たなモンスターが追加されたいわば完全版にあたりますが…

こういった完全版はオリジナルを買った人に「どうせ同じゲームだから…」と避けられる傾向にあって大きく売り上げを落とすのが普通です。
しかし、MHGはオリジナルと同等以上に売れるという現象が起きているんですよね。
これはMHGにも限らず後のモンハンシリーズのGでもそうなのですが…
完全版の需要が新作並みに高く、ファンからも歓迎されていた珍しいケースですね。
因みにMHGは後にWiiへと移植されています。
携帯機版誕生
MHGが発売してから約1年後、カプコンはMHGをベースにした『モンスターハンターポータブル』(以下MHP)をPSPでリリースするのですが…
これがまさかの大ヒット!
シリーズ初のミリオンセラーを記録します!
コア向けで難しいMHGからの移植をベースにした本作がなぜそこまで伸びたのか?
そこには大きな理由が二つあります。
理由1.バランスの徹底見直し
携帯ゲーム機にMHGを移植するに当たってゲームバランスをより遊びやすいものへと見直しています。
どちらかというとオンラインを想定していた据置機のモンハンとは異なりソロで遊ぶ人も多いだろうという発想で調整がされたようですね。
ここで難しすぎるゲームから手強いゲームに転換して大ヒットした事が後々のシリーズに大きく影響を与えています。
理由2.ローカルマルチによる拡散
今となってはごく当たり前になった携帯機を持ち寄っての3Dアクションゲームの共闘プレイ…
これを大々的に世の中に広めたのはモンハンであり、その始まりがこの作品からです。
携帯機のローカルネットワーク機能によってモンハンのマルチプレイが気軽にできるようになったことで、多くの人がモンハンの持つ面白さに気付いたわけですね。
調整されたとはいえまだまだめんどくさいシステムだったり、モンハン持ちという変わった操作方法を強いられ決してとっつきやすいゲームではなかったモンハンですが、

友人と一緒に遊ぶことで助けてもらったり、手ほどきを受けたりするなどコミュニケーションを楽しむ過程としてこれらも受け入れられていた印象がありますね。
因みに、モンハンのポータブルシリーズは一瀬泰範氏がディレクターを担当し、据置のモンハンの藤岡氏と二人のディレクターでこれからシリーズを盛り上げていくことになります。
生態系や新しい要素の取入れに積極的でチャレンジャーな反面ややめんどくさいゲームにしてしまう傾向のある藤岡氏に対し、
一瀬氏は藤岡氏の作ったベースを元に洗練させ、より遊びやすいゲームとしてバランスを取る傾向があります。
ベースを作っている藤岡氏の存在も偉大ですが、モンハンが国民的ゲームになったのはこの人の功績も計り知れません。
Dosという問題児
MHPの発売から3か月程たった2006年2月、PS2向けで発売された『モンスターハンター2(Dos)』(以下MHDos)は 後世に問題児として語り継がれる程強烈な作品でした。
何が問題児かというとこれまでのMH無印、MHGと厳しい難易度だったのがここに来て極悪とも言われるレベルまでプレイヤー側が不利になるような調整が施されていたんです。
携帯機の開発チームはプレイヤーにより親しみやすくしていた一方で据置の新作チームはプレイヤーに全く親しみやすくないモンハンを作ってしまったんですね(笑)
とはいえこのMHDosもすべてが悪かと言えばそうではなく、新武器種や甲殻種など多数の骨格のモンスターがここで生まれました。
また古龍種と呼ばれる通常のモンスターよりも遥かに強いモンスター達もここで初めて登場します。
古龍種はそのエグイプレイヤー泣かせの仕様もそうですが、それまでの生物らしさのあったモンスター達とは違ったファンタジーな仕様が不評だったりとこの時はまだ散々な評価でした。
ジェット機の様に飛んだり、モンスターの精気を吸い取るようなモンスターが出て来る最近のモンハンから見るとこれくらいのファンタジーさはまだ可愛いものですけどね(笑)
このようにモンスターの調整に対する不評などで失敗した駄作だともいわれる本作ですが、
モンスターへの自由度をもたらしたという意味では後のシリーズに多大な影響を与えたターニングポイントとなった作品です。
社会現象に
MHDosから1年が経つ2007年2月に『モンスターハンターポータブル2nd』、その翌年2008年2月にはその完全版となる『モンスターハンターポータブル2ndG』をPSPで発売します。
ゲーム制作の中心はMHPに引き続きディレクターの一瀬氏ですが、後のモンハン開発の顔となる辻本良三氏がMHP2ndでプロデューサーデビューを果たしています。
良P「モンハンはワシが育てた…!」
上り調子の時にプロデューサーに就いただけでなく、カプコンの会長の息子という事で親の七光りと揶揄されることも多い良三氏ですが、
ゲームショップでユーザーと一緒にモンハンを遊ぶイベントを行ったりと経営者一族らしからぬ泥臭い地道な活動を積み重ねていきます。
「ひと狩りいこうぜ!」のキャッチフレーズや、ユーザーと運営が一体になって狩りを楽しむ『モンハンフェス』が始まったのもこの頃で、
良三氏がプロデューサーになって更にプロモーション展開がよりユーザーに身近なものになっていったわけですね。
ゲームの内容的にはMHGから引き続きディレクターとなった一瀬氏によって、あの荒々しかったMHDosを上手く洗練させられ以前よりもさらに遊びやすくなっています。
それまでマスコットやお邪魔虫でしかなかったアイルーがオトモアイルーとして一緒に狩りに出かけられるようになったのもMHP2ndGからですね。
そして作品を追うごとに追加されてきたモンスターやマップ、装備の数も膨れ上がり、携帯ゲーム機としてはあり得ない巨大なものへとなっています。

私もはじめてモンハンを触ったのはこの頃なんですが、携帯ゲーム機のゲームとは思えない巨大なゲームっぷりに友達と一緒に
「なんだこれ!PS2のゲームより凄くないか!?」
「やばい!このゲーム!」
と興奮していた記憶があります(笑)
それは私達に限った話ではなくて、あの時日本中がモンハンに熱狂して社会現象になっていくのを肌で感じましたね。
友達同士や夫婦、職場仲間などコミュニケーションツールとしてゲームから少し遠ざかっていた人までPSPを買い求めるようになったと言われ、PSPが在庫切れでなかなか買えないっていうくらいでしたから。
次回予告
ここまででモンハンの誕生から国民的ゲームへ成長する過程をお話ししましたが、記事も長くなってきましたので続きは次回とさせていただきます。
MHP2Gまでは全てプレイステーションで展開されてきたモンハンシリーズですが、この後いよいよ任天堂ハードにも進出していきます。
据置機Wiiの大ヒットや次世代機3DSの登場など激動の流れの中でモンハンがどのようにして成長を続けたか…乞うご期待ください!